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JAILA 第11回全国大会報告(2023年2月18日 同志社大学新町キャンパス)

 JAILA第11回全国大会ハイブリッド開催(2023年2月18日、於同志社大学新町キャンパス)のご報告をさせていただきます。今大会も多くの方にご参加いただきましたこと、心よりお礼申し上げます。
 当日行われました研究発表、ポスターセッション、シンポジウムの様子をご紹介いたします。
 また、プロシーディングも掲載しておりますので是非ご覧ください。




開会式

開会式1
開会式1

開会式2
開会式2

開会式3
開会式3

研究発表

王 鏡洲さんのご発表
王 鏡洲さんのご発表

本田 雅宣さんのご発表
本田 雅宣さんのご発表

鈴木 浩輔さんのご発表
鈴木 浩輔さんのご発表

岸田 夕奈さん、北川 愛夏さん・宮城 ひなたさん、乾 美紀先生のご発表
岸田 夕奈さん、北川 愛夏さん・宮城 ひなたさん、乾 美紀先生のご発表

藤澤 眞帆先生のご発表
藤澤 眞帆先生のご発表

中川 梓先生のご発表
中川 梓先生のご発表

和田 あずさ先生、ナットチー 直子先生のご発表
和田 あずさ先生、ナットチー 直子先生のご発表

黎 暁妮先生、松浦 芙佐子先生、徐 沇廷先生のご発表
黎 暁妮先生、松浦 芙佐子先生、徐 沇廷先生のご発表

麻生 雄治先生のご発表
麻生 雄治先生のご発表

草薙 優加先生のご発表
草薙 優加先生のご発表

小野 隆洋先生、岩中 貴裕先生のご発表
小野 隆洋先生、岩中 貴裕先生のご発表

松浦加寿子先生のご発表
松浦加寿子先生のご発表

深谷 素子先生のご発表
深谷 素子先生のご発表

奥 聡一郎先生のご発表
奥 聡一郎先生のご発表

竹野 純一郎先生のご発表
竹野 純一郎先生のご発表

シンポジウム1「続・英語読解力再考――教育現場は「英語が読める」ことをどう捉えているのか?」

シンポジウム「続・英語読解力再考――教育現場は「英語が読める」ことをどう捉えているのか?」(1)
シンポジウム1(1)

シンポジウム「続・英語読解力再考――教育現場は「英語が読める」ことをどう捉えているのか?」(2)
シンポジウム1(2)

シンポジウム「続・英語読解力再考――教育現場は「英語が読める」ことをどう捉えているのか?」(3
シンポジウム1(3)

シンポジウム2「教養としてのスポーツをどう捉え、教えるか」

シンポジウム「教養としてのスポーツをどう捉え、教えるか」(1)
シンポジウム2(1)

シンポジウム「教養としてのスポーツをどう捉え、教えるか」(1)
シンポジウム2(2)

シンポジウム「教養としてのスポーツをどう捉え、教えるか」(1)
シンポジウム2(3)

ポスター発表

ポスター発表1
ポスター発表1

ポスター発表2
ポスター発表2

ポスター発表3
ポスター発表3

ポスター発表4
ポスター発表4

   

プロシーディング/発表資料(PDF形式)

※ 下表は、今大会の発表一覧(口頭発表およびシンポジウムのみ)です。

※ ポスターセッションの概要については、大会概要(PDF)をご覧下さい。

※ プロシーディングが公開されているのは、一部の発表です(全てではありません)。

※ 表中のリンク(proceeegings)よりプロシーディングを閲覧きます

※ プロシーディングおよび発表資料はPDF形式となっております。

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No.

題目

発表者 proceedings

発表資料
1 日本の地方大学のグローバル化プロセスに関する研究:教授言語を英語とした授業の実施状況を中心として 王 鏡洲 proceedings
  本研究の目的は、教授言語を英語とした授業が日本人大学生英語学習者に与える影響を明らかにすることである。日本国内の大学生を調査参加者としてアンケートとインタビューによって調査を実施した。英語で行われる授業に対する意欲、教授言語を英語とした授業に対する期待、受講することによって得られる効果を明らかにすることを試みた。更に今後の大学における教授言語を英語とした授業のあり方について考察を加える。
2 なぜ子どもたちはラオス語を知らないのか~ラオスの少数民族の村における国際教育支援とその効果に関する研究 岸田 夕奈
北川 愛夏
宮城 ひなた
乾 美紀
proceedings
  私たちが所属する学生団体CHISE(チーズ)は、ラオス北部の山岳地帯の貧困村に教育支援をしている。昨年ロンラード村でオンライン視察を実施した際、同村では児童数及び教員の不足から、幼稚園がなく、小学校高学年でもラオス語の読み書きができないという課題を発見した。そこでCHISEは、現地で幼稚園児を対象としたラオス語識字教室を開催するサポートを行っている。本発表では、その具体的な取り組みと効果を発表する。
3 戦前の英語教科書における英詩の扱い方の特徴・工夫 本田 雅宣 proceedings
  戦前の英語教科書では、今よりも英詩が多く使用されている。本研究では、日本人によって編纂された英語教科書として有名な、Globe readers と Crown readers における英詩の扱い方の特徴や工夫を分析し、次のような点が確認された。
・英詩がメインの正課の数が、正課全体の10%〜20%となっている。
・内容的に相互関連のある英詩と散文が使用されている。
・数行の短い英詩が、課の終わりに配置されている。
・詩以外にも、詩的な特徴をもつ文が使用されている。
以上のような知見を元に、これからの英語教科書において英詩を使用する可能性や意義を論じたい。
4 TOEICを対象とした英語学習に関するライフストーリー研究 藤澤 眞帆
  本研究では調査対象者自身の人生にフォーカスを置き、その人の人生経験をもとにした語りから自己の生活世界について読み解くことを目的とする。よってライフストーリー研究の手法を用いて学生2名を対象に彼らの英語学習に対する内面的要素を探った。彼らは幼児期及び児童期に人生の分岐点で進む方向を照らす出来事を経験していた。その分岐点は、その後の人生にも少なからず影響を与え続けていると考えられる。また、彼らにとっての挫折は他者と比較した際に感じた自己劣等感によるものであった。「このままではダメだ」と焦る気持ちから、自身を分析し改善策を考えることへ視点をシフトすることとなった「ブレイクスルー期」では、目標となる人物や具体的な目標点数、語学試験合格という目標設定からモチベーションを引き出し、それは彼らが学習を続けてきた要因と深く結びついていた。このような彼らのライフストーリーを、英語学習において苦に感じている生徒に、彼らの今後の人生のヒントとして紹介していくことで、そういった生徒の手助けをしていく架け橋となるだろう。
5 「不平」場面における中級日本人英語学習者の連鎖組織:非優先性に対する学習者の志向に着目して 鈴木 浩輔 proceedings
  優先組織は対話者間の社会的調和に関わる会話の基本原則であり,優先的行為は緩和なしに即座になされる一方,非優先的行為は前置きやためらいを伴い遅延することが多い。しかし,「不平」の非優先性への志向と目標言語習熟度の関係に着目し,学習者の相互行為を分析した研究はほとんどない。本研究は,中級日本人英語学習者が,相互行為において非優先性を志向しながら「不平」を行うかについて,応用会話分析を用いて調査した。
6 日本人英語学習者の前置詞習得における母語の影響―inとonに焦点をあてて― 中川 梓
  英語の第二言語学習者にとって、前置詞を習得するのはとても困難であると言われており、その要因として、母語の影響が多くの文献において言及されている。日本語と英語においても意味と形式の両方の方略の違いが明らかにされている。本発表では、意味に重点を置き、約20名を対象とした空間把握実験と英語テストの結果から、日本人英語学習者がどのように空間を把握しているのか、また前置詞の習熟度との相関について発表する。
7 英語に堪能な若手小学校教師の英語音声指導観の変容過程②―発音の多様性に関する省察的語りに焦点をあてて― 和田 あずさ
ナットチー 直子
proceedings
  本発表は、英語に堪能な若手専科教師の英語音声指導観が、授業実践の積み重ねによりどのように変容していくのか、そしてこの過程が教師としての成長といかに結びついているのかについて探究するものである。本発表では、発音の多様性に関する省察的語りから導かれた「英語が母語でないALTの発音や児童の発音への着眼と認識の変容」「自らの教師としての役割とALTとの同僚性の構築」という二つの主題に関わる事例の解釈を取り上げる。
8 他者を想うことで自己を知る―多文化・異文化理解教育の実践― 草薙 優加 proceedings
  不透明な時代を生きる私たちが幸福であるために、OECD (2002)は単なる知識や技能を超えた力(キー・コンピテンシー)の獲得を提言し、日本の初等・中等・高等教育に大きな影響を与えた。その一つに、「多様な社会グループにおける人間関係形成能力」がある。外国語教育においても言語と技能重視の学習から、他者から学び、他者を想って考える過程から自分自身を知ることが求められている。その実現には、演劇やゲストの語りを導入することが効果的である。本発表では、このアプローチによる実践を紹介する。
9 多読授業受講者のナラティヴを探究する 深谷 素子 proceedings
  多読への批判が後を断たない。正確な英文理解を伴わない多読は誤読につながる。Graded readersはオリジナル版の歪曲だ。多読は文法学習や精読を軽視している等々。しかし、これらの批判が見逃しているのは、多読授業という枠組みが、英語力の高低や英語学習への好悪にかかわらず学習者全体を包摂しつつ、個別指導を通して自律的学習態度を喚起する機能を有している点ではないか。この仮説に基づき、本発表では多読授業受講者の言語データからその生の声(ナラティヴ)に耳を傾け、多読授業で学習者が何を経験しているのかを明らかにしたい。
10 観光サインにおける方言の多言語化 黎 暁妮
松浦 芙佐子
徐 沇廷
  街中の観光サイン(観光客が目にする看板や掲示など)に方言使用を目にすることがある。方言は地域らしさを演出する地域資源として観光での活用が奨励されている。しかし、訪日旅行者にとって方言の意味やニュアンスの理解は容易ではあるまい。そこで本発表では、方言サインは多言語化できるのか、どのような多言語化が望ましいのか、岡山駅近くに設置された岡山方言サインの多言語化を足掛かりに、方言とその多言語化の問題を論じる。
11 音楽ワークショップ型授業が児童に与える影響―アンケート調査結果に基づく考察― 小野 隆洋
岩中 貴裕
proceedings
  短期集中型の学習形態を特徴とするワークショップが、児童に与える影響を明らかにすることを本研究の目的とする。音楽ワークショップ型授業で、プロの音楽演奏を鑑賞した児童に対してアンケート調査を実施した。鑑賞活動を通した学びと児童の音楽に対する態度変容との関連について、アンケート調査結果の分析に基づいて考察する。コロナ過における音楽ワークショップ型授業の現状と課題を報告し、今後のあり方を検討する。
12 グローバル人材から地球市民へ―大学カリキュラム開発の視点から― 奥 聡一郎
  8年前のJAILA全国大会で「グローバル人材の育成」と大学教育改革を発表した。この8年間に地球規模の環境問題、SDGs等の新たな問題解決の視点が生まれ、「国際教養」を学ぶカリキュラムが多くの大学に取り入れられてきた。「地球市民」育成へパラダイムシフトが進む中、コロナ禍、ウクライナ情勢、円安など考慮すべき事例の分析が必要である。本発表では、大学教育におけるグローバル化推進の課題を再検討する。地球市民育成の展望を踏まえ、内部質保証に迫られる大学教育のグローバル化推進をカリキュラム開発の観点から示したい。
13 ライティング指導におけるセンテンス・コンバイニング練習:難易度の調査 麻生 雄治
  センテンス・コンバイニング(二つ以上の単文を新たな派生形を作るために付け加え、埋め込みなどのさまざまな変形操作を加えて結合する過程)によって、文を接続する方法を8つの型に分類した。日本人英語学習者にとって、易しい、あるいは難しいとする型はどれであるかを練習問題の中で調査し、今後のライティング指導における効果的なセンテンス・コンバイニング練習の内容を提案する。
14 仮定法・依頼表現・ポライトネスを融合した指導の可能性―映画『美女と野獣』と『僕のワンダフル・ライフ』を用いて― 松浦 加寿子
  本発表では、英語教育における映画教材の役割について論じる。具体的には、映画を活用して仮定法と依頼表現、さらにポライトネスを融合した指導を行うことが文字情報のみの指導と比較して、より効果的な指導法と成り得るかについてエビデンスに基づいて検証した結果を報告する。また、語用論と指導に関するアンケート結果の詳細も伴わせて紹介することで、映画を活用した指導が仮定法と依頼表現、さらにポライトネスの理解と定着に与える教育的効果について明らかにしたい。
15 ESPとして医療英語―語彙難易度に焦点を当てて― 竹野 純一郎
  日本の英語教育はEGP (English for General Purposes) が中心であるため、日本人英語学習者は、日常的な使用を目的とする英語で現れる高頻度の語彙から順に学ぶ。一方で、ESP (English for Specific Purposes) では特定目的の英語を学ぶため、使用語彙は分野によって大きく異なる。本発表では、ESPとしての医療英語で扱われる語彙に焦点を当てて、語彙レベル解析プログラムを用いてその難易度を明らかにする。
シンポジウム1 続・英語読解力再考――教育現場は「英語が読める」ことをどう捉えているのか? 講師:
  福重 茜
  柾木 貴之
  吉田 安曇
ディスカッサント:
  横山 千晶
司会:
  北 和丈
  日本の文脈において英語教育・学習を論ずるに当たり、英語読解力、すなわち英語が読める能力を涵養することの意義が軽んじられることはまずあり得ないとしても、その「英語が読める」という言葉の定義を突き詰めて考えると、そこには全く議論が嚙み合わない可能性すら孕んだ危うさが潜んでいることがわかる。現代の日本に生きる我々にとって、果たして「英語が読める」とは、誰が、何を、どのように読めることを意味していると考えるべきなのだろうか。本企画は、この難題への取り組みに先鞭をつけた日本英文学会第94回全国大会第12部門シンポジウムの続編として、様々な教育現場の視点から「英語読解力」像のいまを複眼的に捉え、日本の英語教育が進むべき道筋を見出そうとする試みである。
シンポジウム2 教養としてのスポーツをどう捉え、教えるか 講師:
  中西 純司
  朴 ジョンヨン
  大西 好宣

proceedings
発表資料
proceedings
  教養を意味するリベラルアーツは、よく知られるように古代ギリシャで生まれた概念である。古くは自由7科としても通称され、具体的には文法学・修辞学・論理学・算術・幾何学・天文学・音楽を指す。しかしながら、何をもって教養と見做すかは時代や地域に応じた差異や変化が本来あるはずで、さしずめ現代ならば映画などのメディア映像や文学、或いは歴史・地理などを教養の一つとして含めることに対し、異論を唱える者はよもやいないであろう。  では、スポーツはどうであろうか。今日、新聞やラジオ・テレビのニュースでは必ずと言って良いほどスポーツが取り上げられ、政治や経済、国際といったジャンルに匹敵する分野になっている。その結果、2019年のラグビーブーム、2021年の東京オリンピック・パラリンピック、そして米メジャーリーグでの二刀流・大谷選手の活躍は、多くの人の関心事となった。実技としてのスポーツとは別に、その歴史や価値、或いは社会現象を対象とする学術研究は実際、各国で行われている。   これらの事実からすれば、スポーツを現代的な意味での新たな教養と見做すことには十二分な理由がある。では、大学で実技以外にスポーツが授業として取り上げられ、現代の教養として語られる場面はそれほど多いであろうか。答えはおそらく否である。そこで本シンポジウムでは、まずスポーツの持つ現代的な価値や教養としての側面について改めて捉え直し、次に数少ないながらも現時点で展開されている幾つかの大学の試みを紹介する。

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